2012年11月20日火曜日

第23回 「島根の自然のなかで」

私は、島根の自然のなかで育ちました。今は○○町と名前が変わってしまったのですが、小さい時は○○○村と言い、中国山脈の冬は雪深いところです。

「住めば都」という言葉通り、私は○○○村が大好きで、「いい所に生まれたな~」と本気で幸せを感じて大きくなりました。


夏は蚊が多く、母が夜は蚊屋をしてくれました。
蚊屋の中に入ると何か嬉しくなったものです。なんだか、狭く、暗く、秘密基地のような・・・。
毎晩家族とキャンプをしているようなウキウキした気分でした。
私の寝像も相当でしたので(現在もですが・・)朝は身体半分は蚊屋の外でした。(笑)

冬の積雪は小さかった私の背丈まで積り、朝起きると一面真っ白。
父が私の前を学校まで歩いて道をつくってくれました。
小学校1年から3年までは冬場は地域の分校に通います。生徒は多くても6~7人。
同級生は3人でした。みんなでこたつで勉強していたことを思い出します。
(みかん食べながら勉強してたなぁ~)

私が、小学校5年生になったころ、その分校も廃校になり、冬場でも低学年も本校に通うようになりました。本校までは子供の足で片道1時間の道のり。低学年の足には雪の中はきつく、私達高学年がおんぶして学校まで行きました。寒くて、寒くて・・・。(泣)でも本校に着いた時、ストーブで温められた牛乳が美味しかった。ストーブの前に立つと全身から湯気が出ました。友達とお互いを見ては笑いながら、また、雪で遊びました。

中学校になって、やっと!自転車通学が許可です。でも、半分は歩きで、山あり谷あり。幼友達と行きかえり、ピンク・レディーを歌いながら、通っていました。
知っておられます?ピンク・レディー(「誰?何?」って聞こえる・・・。)
私がケイの方だったかな??低い声なんで。
だから、自転車を押しながらの通学も楽しかったです。












島根の人は温厚です。みんな、ゆっくり時が過ぎています・・・・。

「できんかったのぉ~。また、明日するかのぉ。」

それを強く感じたのが、私、看護学校が大阪で、18歳で大阪に出たときです。
やぁ~~~びっくり!?でした。

「なんや??この世界。なぜ?急ぐの??」

「なんかあったの?ねえ~~。ねぇ~~。」

って感じで・・・・。
みんなが走っている。急いでいる。

「どけどけどけ~~~!!」って。

朝から晩まで走って、電車に乗って・・・。
待って! あっ~~電車に乗り遅れた!!
でも、また、すぐ次の電車が来る!?あれっ?大阪って、もしかして、便利やん 。(^v^)/
いつの間にか、私もイラッチになってしまいました。

「ちゃっちゃっとしょーや。」

この歳になって(まだ、まだ、気は若いのですが☆)、やっとすこし、のんびりしてきました。
島根に帰るとき、福山から母に電話しておきます。
「ご飯作ってまっとるけ~な。」

と母。
帰ると、なにもしていない。

「車で3時間もかけて帰ったのに。ご飯は?布団も干してないの?も~~!!」

昔は腹が立っていたけど、今は・・・・。

「まっ!いいっか。ぼちぼち一緒にするかぁ~。」(笑)

「ごめん、ごめん、しょ~おもよったんよ。」

と言う母に笑って待てる今日この頃です。

看護師長 永久