2013年12月30日月曜日

第63回 「暇人の本読み」

「本を読むことは実に楽しい」ものです。

そして、本を読むことであたらしい発見もあります。

小学生の頃から、古代文明に憧れて関連の本を読むようになりました。
旅行記、解説書、写真集などよく買っていました。
「本を読むことで、行った気になれる」その程度のことですが、60歳を超えた今でも興味は尽きません。

最近は以前購入した本、古代エジプト史『ピラミッド文明・ナイルの旅』(著者:吉村作治)を読み返しています。その本の著述の一部を紹介します。


"人はよく、エジプトにはピラミッドがあるからそれだけで十分価値があるという。

それも一理あるが、実はピラミッドに負けないくらいおもしろいものが古代エジプト人の人生観である。

彼らは「エジプト人」とはどういう人をいうかを明確にしている。

「ナイル川の水を飲んだ人をエジプト人とする」

と述べているのだ。

すなわち外国人でもエジプト人になれるということなのだ。

そこには偏狭な人種主義はなく、おおらかな価値観を感じる。

また人間は死んだらどうなるのだろうかということを真剣に考えた最古の人たちでもあるだろう。

どんな人でも死は怖い。

だからその恐怖から逃れようとして、古代エジプト人は再生・復活という思想を考え出して

死の恐怖から解放された。

人間は死ぬが、その魂はあの世で復活し、永遠に生きていける。

そして、その魂はあの世からこの世にもどって来られるし、その魂がこの世で入る自分のもとの

肉体を大切に保存しなければと考え、ミイラとした。

合理的である。

しかも誰もが死ぬと復活してあの世へ行けるのではなく、この世にいる時悪いことをしていないというのが条件となる。"


私は考古学者ではないので歴史の真偽はわかりませんが、約4~5000年前の古代エジプト人の知恵です。よく考えたものです。

「実におもしろい!」
薬剤科 加塩

2013年12月20日金曜日

第62回「私の癒し」

私は、みなさまのように 『趣味』 と言えるようなものがありません(涙)

「趣味は?」

と聞かれたら・・・

強いていえば、 『仕事』 と 『子育て』 と答えると思います。

看護師の仕事は自分では『天職』だと思っています。(え~っ!?て思った人がいたらごめんなさい!)
寺岡記念病院に入職し、脳神経外科患者さんと関わるなかで、 『脳神経外科』 のすばらしさに出会い、脳卒中リハビリテーション看護認定看護師を目指し取得しました。

「脳」 ってすごいんですよ~❤❤❤。

脳についてしゃべりだすと止まらなくなります。(気がつくと・・・周りに誰もいない)
一緒に脳について熱く語ってくれる人募集してま~す。

2つ目の趣味と言えるかどうかわかりませんが、私にはかわいい息子が1人います。
かわいいと言っても現在小学6年生の反抗期真っ只中ですが・・・。

そんな息子の影響で、 アニメ『名探偵 コナン』 にはまっています。

みなさんご存知の『名探偵 コナン』は週刊少年 サンデーの人気コミックです。
簡単に説明すると、高校生探偵 工藤新一が、黒の組織の一員(ジン・ウォッカ)に毒薬(アポトキシン4869)を飲まされ、身体が縮んでしまった。小学1年生の姿になった工藤新一が、組織の目を欺くために江戸川コナンと名乗り難事件を解決しつつ、アポトキシンの解毒薬や黒の組織について探りをいれているという感じの話です。「索状痕」・「吉川線」・「アーモンド臭」・「プラスチック爆弾」etc・・・警察用語や隠語もコナンで知りました。(笑)

私の携帯電話のメール着信音も『コナンのテーマ』です。(笑)
休憩室でも時々「ちゃらら~ら~ちゃらら~ら~らら」と鳴っていますが、本館2階のスタッフはみんなもう慣れっこで、「井上さん、コナン鳴ってましたよ」と報告があります。(2階のみんないつもありがとう!!)

毎週土曜日18:00~のテレビ放送も良いですが・・・

私は、毎年4月に公開される映画『名探偵 コナン』シリーズが大好きです。
今年で17作目となっています。私の一押しは2001年公開 5作目の『天国へのカウントダウン』です。コナンくんが超かっこよくて❤❤❤❤特にラストの少年探偵団と一緒に脱出するシーン。何度観ても感動します。今すぐレンタルショップへGo~。

毎回、ハラハラ・ドキドキの名シーンばかりで、何度観てもすてきです。いろんなコナンくんに出会えます。コナンファンとしては、映画は公開初日に1回目を観に行く、そして2回目、3回目を観に行く。DVDが発売になったらレンタルして再度観るといった感じで楽しんでいます。今では息子よりも私の方が、コナンにメロ❤メロです。息子もコナンくんのように、すてきな男子になって欲しいです。

今年は、映画公開時期に『セガ・一番くじ名探偵 コナン』というものが某コンビニで販売されていたため、何度も何度も某コンビニに通いました。A賞~H賞(ラストワン賞というのもあります)まであり、1回500円でした。息子と2人で、計25回くじを引いて・・・全商品ゲット!!しました。

家にはコナンのフィギュアからクッション、タオルにクリアファイルetc・・。コナングッズがあふれています。タオルやクリアファイルなんて何枚あるの?状態です。(^^ゞ 

500円×25回に、家族から冷たい視線が・・。ほんとコナンバカですね。

でも、私の唯一の癒しなんです。

これからも・・『名探偵 コナン』に癒されながら、頑張っていきたいです。 
今一番の楽しみは12月7日公開の映画『ルパンⅢ世VS名探偵コナンTheMOVIE』を息子と観に行くことで~す。 みなさまもぜひ一度『名探偵 コナン』を観てみて下さいね!

看護主任 井上

2013年12月10日火曜日

第61回 「アンドレ・アガシ」

1999年の全仏オープン、アンドレ・アガシは決勝戦をアンドレイ・メドベデフと戦っていた。

当時のアガシは長い低迷期の最中であり、グランドスラムの決勝戦に勝ち進むということは奇跡的なことであった。

かつてはその風貌から異端児と言われていたが、18歳にして世界ランキング3位、1995年には世界ランキング1位となり、最も人気のあるテニス選手の一人であり、スポーツ界でも有名な選手であった。

しかしその余りにも絶大な人気、莫大なスポンサー収入、女優との結婚から実力は低迷し、一時は世界ランキング141位まで落ちてしまっていた。その低迷していたアガシが1999年の全仏オープンでなんと決勝戦まで勝ち上がったことは大きなニュースとなった。

当時高校1年生であった私にとってアガシは大好きな選手であったものの、グランドスラムで勝ち上がることは数少なかったため、アガシの試合をテレビで見ることはほとんどできていなかった。私は驚きと期待の気持ちで日本時間深夜からのテレビ中継を見始めていた。しかし多くのファンの期待とは裏腹に、メドベデフの安定した190km/hrを超えるサーブが冴え渡り、第1セット6-1、第2セット6-2で最初の2セットを落としてしまった。



テニスのプレースタイルにはサーブを中心としたサービスプレイヤーとストローク中心のベースラインプレイヤーという2つのスタイルがある。

1999年当時は時速200kmを超えるサーブを武器とするサービスプレイヤー全盛時代であったため、ベースラインプレイヤーの代表格であるアガシにとって、サービスプレイヤーであるメドベデフのサーブが調子良いこと、さらに2セットを先取されているといった状況は絶体絶命の状態であった。
試合の解説者も、実際に試合を見ていた観客も、また当時の私も、おそらくアガシ自身以外の誰もがアガシが勝つことを完全にあきらめてしまっていた。


アガシが低迷した原因は彼自身を取り巻く環境の変化とそれによる練習不足、そしてそれが攻め急ぎからのミスを誘発していたことであった。
しかし低迷期を経験し、どん底を味わったアガシは再度栄光の舞台に立つという野望を抱えるように変わっていた。かつてのグランドスラム優勝者が、自分自身でゲーム数をカウントするためにナンバーボードをめくるような下部リーグに出場するといった屈辱にも耐えるようになっていた。怠惰な生活を改め、頭も丸め、名コーチであるブラッド・ギルバードと一緒にひたすら練習と肉体改造をしていた。




アガシはあきらめていなかった。

かつて長髪でろくに走らず、一発のストロークエースを武器に活躍していた選手が、メドベデフ190km/hrのサーブを必死で返し、ローラン・ギャロスの赤土にまみれながら、ひたすら走り、ボールを拾い、長いストロークの末に生まれたチャンスボールを往年のストロークエースで決めるというパターンを少しずつ見せるようになっていた。

あのアガシが、低迷していたアガシが走っている。

その姿を見て観客は沸いた。解説者の声にも力が入るようになった。最初の2セットでは小雨交じりの曇り空が、終盤には日が照りつけるようになり気温も上昇していた。当然、私自身も興奮し眠れなくなっていた。観客はほぼ全員がアガシの応援をしていた。アガシコール、ウェーブが巻き起こっていた。

セットカウント2-2、最終第5セット、5-4で迎えた第10ゲーム。40-15のマッチポイント。
メドベデフのフォアのレシーブが、ベースラインを割った。その瞬間、アガシはラケットを投げ捨て両手を空高く上げた。
涙でしわくちゃの顔で立ちつくすアガシ。そんなアガシに歩み寄り、強く抱きしめるメドベデフ。重なった影の上を時間は緩やかに流れた。そんな二人を大観衆の歓声と拍手が包み込み、一つの歴史が作られた。
そこにいるのは、勝者と敗者ではなかった。死力を尽くして戦ったという、達成感・充実感を分かち合う同士に他ならなかった。


人がひたむきに頑張っている姿は大きな感動を呼び、また大きな偉業を達成します。ただそのためには地道な苦しい努力の毎日と、しっかりと頭を使い、より良いものを作っていこうとする工夫が必要です。当たり前のようなことですが、私にとって初めてそれを実感した瞬間でした。

寺岡記念病院に来て二ヶ月が経過し、ここ数年離れていたテニスを再びやり始めたことで思い出したエピソードを紹介させて頂きました。

私にとって大学時代のテニスの師匠も、初期研修医時代の師匠も、そして脳外科医として初めて手取足取り教えて頂いた師匠も、皆まさにそんな当たり前の事を実践している方々でありました。

今後脳外科医として、そのようなとてつもなく困難な当たり前の事を、自分自身どこまで出来るか分かりませんが毎日実践していきたいと思っております。 





脳神経外科 寺西