2015年3月30日月曜日

第105回 「食の原点を訪ねて」

標題はすごい壮大なことになっていますが、実はマイブームの "塩パン" の発祥地へ行ってきたというお話ですヽ( ・∀・*)ノ

私が塩パンに初めて出会ったのは、フジグランのパン屋さんで、正直あんまり美味しそうには見えなかったのですが(←失礼)、食べてみたら外はカリカリ、中はしっとりで、バターの風味たっぷりのとっても美味しいパンでした。
ふと、

「本場はもっと美味しいのでは?」

と思い、しまなみ街道を渡って愛媛県の松山市まで行ってきちゃいました♪


ε=ε=ε=ε=ヽ(。・ω・)ノ タタタタ・・・


"塩パン" の発祥は、愛媛県八幡浜市にあるパン・メゾンというお店だそうです。八幡浜市にあるのが本店だそうですが、うちからだとちょっと遠いので2号店(愛媛県伊予郡松前町)へ行ってきました。





外は静かでしたが、中は人でわんさか(--)





2号店の場所は、松山市をもう少し南の方に行ったところにありますが、平日にもかかわらず、お店の中は塩パンの焼きあがりを待つお客さんで大行列!Σ(゚◇゚;)ほえ-!


『お一人様10個まで』

ということなので、当然(?)10個買って車の中でさっそく試食♪
できたて効果もあいまって、期待以上のおいしさにびっくり!!家に着くまでに5つも平らげてしまいました…(もちろん、私一人で)llll(-ω-;)llllガ---ン





☆モサモサ☆ (*´ェ`*) 
写真家のセンスが悪く、
マズそうに写ってますが勘弁…





近くには、松山城もありますので愛媛観光に行かれた際には、ぜひ立ち寄ってみてください(お土産お待ちしてます♪)
他にも、 "霧の森大福" というのもおいしくて有名です♪松山市内にもお店がありま~す。

※ちなみに、医療従事者の立場から言いますと、塩パンは食べ過ぎるときっと身体に良くないです(笑) 

医事課 湯藤@体重増加中

2015年3月20日金曜日

第104回 「今を振り返って」

「人の役に立つ仕事につきたい」

看護師をしていた叔母の影響で、私は看護師を目指し、高校卒業後島根県から岡山県の看護学校へ進学しました。

当時、国立の看護学校は全寮制で4人部屋、門限や消灯など寮生活の厳しい規則がありました。慣れない寮生活で、最初は戸惑いましたが、今思えば楽しい寮生活でした。現在も、同窓会は続いています。

昭和54年に看護師免許を取得して、最初の就職先は、神戸大学医学部附属病院、配属は整形外科病棟でした。
先輩看護師はプライベートでもよく面倒を見てくれ、家に招待していただき、食事をご馳走してくれたりしました。また、同期の医師・看護師も多く「54会(ごーよんかい)」という同期の会もあります。医師5人・看護師9人の会で、毎月休日を合わせて、六甲へハイキングに行ったり、飲み会をしたり、仕事の悩みを打ち明けたりと、縦や横のつながりが多くありました。
症例カンファランスは、医師・看護師合同で行われていました。1年しか神戸にはいませんでしたが看護や整形外科の基本をきちんと勉強させてもらったと思っています。

その後、私は実家のある島根県に帰り、大学附属病院の開院立ち上げから勤務することとなりました。そこでも整形外科病棟に配属になり、神戸で学んだことを現場に活用することができ、やりがいを感じることができました。
結婚を期に福山に来て、寺岡記念病院に就職しました。
あまりの忙しさに、なかなか慣れませんでしたが、寺岡記念病院へ就職して、もう30年以上も経過したのかと改めて思います。
本館4階の内科病棟、本館2階の脳神経外科病棟、整形外科病棟や手術室、外来など全ての科を経験する機会を得ました。私の今があるのは、新卒時代きちんと基本を学んだことが自信となり、当院で応用対応ができたからだと思っています。
また、子育ての大変な時期も、主人をはじめ周りの助けをもらいながら仕事を続けることができました。

人との関わりは大事だと思います。人間関係にも恵まれていました。子供が私と同じ看護の道に進んでくれたことで私の看護師人生は報われたと振り返ります。

みなさんに感謝して、悔いの残らない人生を歩みたいものですね。

副看護部長 黒田





2015年3月12日木曜日

第103回 「意識」

脳神経外科の新谷です。

「脳神経外科」というと、脳腫瘍や脳出血の手術など、比較的過激な診療科の印象を持たれる方が多いと思います。何を隠そう私も手術大好き人間の一人ですが、脳神経外科は「脳機能」を扱う科でもあります。

今回は 「意識」 の話をしたいと思います。

生死をさまよった人たちは、「走馬灯体験」なるものをすると言います。
「おぎゃー」と生まれてから、死に際までの全ての記憶が一瞬のうちにフラッシュバックするというものです。完全には証明されていませんが、脳内には全ての記憶がインプットされているようです。

ここで、自宅の部屋を思い浮かべてもらいたいと思います。

ソファがあって、テレビがあって、カーペットが敷かれていて・・・・・全てを思い出して絵を描くことができるでしょうか?ほとんどの人が“NO”だと思います。部屋全体はおろか、壁時計の文字盤すら描けないのではないでしょうか。脳は視覚で捉えたもの全てを認識し、記憶にインプットしているはずですが、慣れ親しんだ自宅ですら完全に意識にあげることは困難です。

ではなぜこのようなことが起きるのか?

RAS(reticular activating system;網様体賦活系)という回路が関係していると言われています。RASとは脳幹の上部(橋、視床、視床下部など)にある、数十の神経核から構成された回路です。これらの神経核から神経伝達物質(アセチルコリン、ノルアドレナリン、セロトニン、ヒスタミンなど)が放出されて脳が活発に活動するのです。

これが 「意識」 です。

(ちなみにくも膜下出血の患者さんではこの回路が局所的にダメージを受けるので、薄い脳出血なのに重度の意識障害になります)

目の前に広がった世界の中から、自分が意識に上げたいものだけを取捨選択して意識するのです。

街中を歩いていて、動物が好きな人は隣を走って行ったトイプードルを瞬時に見るし、車が好きな人は真っ赤なフェラーリに目が奪われるでしょう。ジャニーズが好きな人は、遥か彼方の"嵐"の看板が目に入るわけです。(ちなみに私は職業柄、スカルのデザインのTシャツやインテリアがあるとついつい細かい部分まで観察してしまいます。)

年を重ねるごとにその人の「RAS」の機能は凝り固まっていきます。RASは、良くも悪くもその人の意識を支配しますので、時にはRASに背いて物事を見ようとすると(今まで認識しようとしていなかったものを見ようとすると)、新たな世界が広がるかもしれません。



脳神経外科 新谷